優越感に浸る罠。気づいたら思い出してほしい3つのこと

劣等感に関する記事を書きました。

●参考記事
苦しい劣等感の解消法!上には上がいるんだなあ

 
実は劣等感と優越感は紙一重で、
劣等感を感じる人ほど優越感を感じます。

優越感は、他者を見下さざるを得ない理由があるからそうしているのです。

 
でもそれには大きなデメリットがつきまとうこと。

それをなんとなくわかっているからこそ
他者を見下すなんてことはもうやめたいと思う人もいるのではないでしょうか。

 
今回は優越感について、詳しくお話します。

 

目次

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優越感とは

優越感とは
他者と比較して「自分のほうが優れている」と安心すること。

・自分はあいつ(みんな)よりできた人間だ
・あいつ(みんな)よりいい容姿だ
・あいつ(みんな)より成績がいい
・あいつ(みんな)より家柄がいい

などと思うことです。

 
冒頭でお伝えしたように劣等感を感じる人ほど、優越感に浸ります。

それは自分の価値を信じることができないからです。

他者と比べることでしか自分の価値を見出すことができないのです。

 
劣等感を感じながら生きた人間にとって、
誰かを下に見ることができるなんて最高に安心するじゃないですか。

最高に気分がいいじゃないですか。

「あ、自分は一番下じゃないんだ」って。

 
それほど自分に劣等感や無価値感を感じてしまう理由の中には、
完璧主義ということも挙げられると思います。

●参考記事
完璧主義をやめたい!完璧主義者の特徴と私が完璧主義になったワケ。

 
なんにも努力しなくたって
誰かを見下しさえすれば自分が上に立てる。

ですから自分自身の価値を見出そうと努力ももせず
優越感に浸ってしまうのです。

 

優越感に浸る罠

優越感に浸ることは絶対にいけないことだ!

と言いたいわけではありません。

そうしないと自分を保てない理由があるから
無意識にしてしまうのですからね。

 
ただ、それによって起こるデメリットがあまりにも大きい。

そもそも他者と比較しない人生のほうが、
楽しく生きられると思うのです。

 

見下しは言葉にしなくても伝わる

いくら言葉にせず心の中でひっそり他者を見下していても、
しっかり相手に伝わります。

それは表情、視線、仕草から。

それが伝わればもちろん友達いなくなります。

 
自信があることと他者を見下すことは全くの別物です。

本当に自信がある人は
たとえ自慢をしても相手のことを見下すなんてことはせず、
相手のことも尊重できます。

同じ分野で比べるなんてこともしません。

 
自分に自信がないから自慢をして

「自分はこうなのよ、でもアンタは…w」

的な表情や視線を向けてしまうのです。

 
見下された側はそれはもう気分が悪い。

 
おっばい小さくて何が悪い!!
えーーーーん!!!!!

 

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できない他者にイライラする

苦しい劣等感の解消法!上には上がいるんだなあの記事でお話したように、
自分と他者を比べてしまう人というのは
自分と他者の区別がついていません。

自分は自分、他人は他人と思えないから、
他人のようになれない自分にイライラします。

 
その逆もしかりで、
誰かと比べることが癖になっていれば
自分より下だと思える相手を見つけたとき、
優越感を感じる一方で

自分のようになれない相手にもイライラすることになります。

 

「なんでこんなこともできないの?」
「普通じゃないの?」
「こんなん常識でしょ」

イライラしっぱなしなんて疲れちゃうじゃないですか。

 
「同じ人間」じゃなく

「別の環境で育った、別の思考と能力を持った、別の生命体」

だと思うが吉です。

 

得られる幸せは一瞬

優越感によって得られる幸せはほんの一瞬です。

あいにく上には上がいます。

ですから比べる姿勢を改善しない限り、
優越感で得られる幸せの何倍もの劣等感を感じることになります。

 
「自分はこんなに頭がいいのにあいつらはぷぷぷw」

って一瞬思えたとしても

「あいつらのコミュ力にはかなわない」
「恋人がいて羨ましい」
「先生に好かれてる」

など、劣等感がいくつも付きまとうことになります。

 

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優越感に浸るのをやめたい!

あまりにも大きな罠がある優越感ですが、
意識的に他者を見下しているのなら意識的にやめればいい話。

でもそうじゃないから困った。

どうしたらその無意識に働きかけることができるのでしょうか。

他人を見下す自分の中にある醜い感情に気づいたとき、
3つのことを思い出してほしいのです。

 

人間は比べられるものじゃない

人間という存在は、
そもそも比べられるような簡単なもんじゃないということです。

全く同じように育ったわけじゃあなければ、
何もかも別の生命体です。

 
私には私の魅力がある、
あの子にはあの子の魅力がある。

それでいいんですよ。

 
「あの人にはあの人の魅力があるんだから見下すなんて、
はあ、だから自分はダメなんだよな~」

などと自分を下げる必要もありません。

 
人間の価値は能力、地位、容姿、
なにを持っているかで決まるものではありません。

他者の評価なんてほんと気まぐれです。

ですから存在そのものが価値。

 
そしてそれぞれに得意不得意があり、
完全ではない人間として存在しているのです。

 

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自分にも他人にも飛躍した解釈をしない

何かをできない人はダメ人間ではありませんし、
クズでも馬鹿でもありません。

ひとくくりにして飛躍した解釈をするのはやめましょう。

 

「デブ」→「体重〇キロ」
「チビ」→「身長〇センチ」
「いつもできない」→「○回できて、○回失敗した」
「馬鹿」→「テスト〇点」
「料理が下手」→
「○○が作れない」

●参考記事
完璧主義をやめたい人たちへ。できない自分は罪じゃない!の考え方

 
他者のことを飛躍した解釈で見下すということは、
ますます自分との間に優劣をつけることに近づくことになります。

人間は優劣では語れません。

「あの人デブだな~」ではなく、
「あの人の体重は〇〇キロ、私は○○キロ」

事実はこれだけです。

どちらが痩せてるとかどちらが健康的とか
そんなことはやっぱりただの思い込みであまりに主観的なこと。

事実を見ることで
優劣をつけることを回避しましょう。

 

自分が見ているのは相手のほんの一部分

誰と人間関係するかでキャラクターが変わるように、
お母さんが電話に出ると別人になるように、

 
自分が相手に見せているのはとある一面でしかないし、
相手が自分に見せているのもほんの一部分です。

 
ですからその人を見下そうが、
実は自分にはまだ知りえない魅力がたくさん詰まっているということです。

 
それなのに優越感や劣等感を感じるだけ無駄なんですよ。

だってその人のことちょこーっとしか知らないんだから。

 
もし優越感に浸ってしまったときには

「この人にも、私の知らない魅力がもっともっとあるんだろうな」

と思っておけばいいのです。

 

まとめ

人と比べる姿勢そのものを矯正するのはなかなか難しいことです。

だって無意識が私たちの心を守るためにやってくれていることですからね。

 
しかし優越感がぽっと顔を出したとき、
謙虚な姿勢も思い出したいところ。

「優越感で得る幸せは一瞬だよ」って、
ハッと気づいて、優越感に浸る時間を短くすれば、
比べることに意味がないと無意識も気付いてくれます。

 
私自身も劣等感や優越感に向き合っています。
一緒にがんばりましょうね。



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