欠点を受け入れる、ありのままの自分を愛するって何ですか?前編
「ありのままの自分を愛すること」
これってダメな自分も愛することですよね。
↑こんな記事を書いている癖に私自身、
どうやって自分の欠点を愛するのか、
「え…無理じゃね?欠点を許す?愛する?どういうこと?」
でしたが、欠点を愛することで依存を脱却した経験もあったことを思い出しました。
今回は前編後編通じて、
欠点を愛するとはどういうことなのか、一緒に考えてみましょう。
目次
なぜ欠点を許せないのか
私の脳内でもへばりついていたもの、
それは「欠点はないほうがいい」という思い込みです。
気が利かないなら気が利くようにがんばるし、
肌が荒れがちだったらスキンケアをがんばります。
ではなぜ私たちは「欠点を直さなければいけない」と思ってしまっているのでしょう。
それは
「欠点があると嫌われる」
と教え込まれてきたからではないでしょうか。
最近目に留まったツイートがこちらです。
運動嫌いって人の話もよくよく聞いてみると実態は「人と比べられるのがイヤ」であって、体を動かすことそのものに対する嫌悪感は無いケースが結構あるよね。そういうのってだいたい体育の授業で苦い経験してることが多くて。極端に言ってしまうと「運動好きの体育嫌い」みたいな。そういうのよく聞く。
— ヤギの人(外出自粛) (@yusai00) May 25, 2020
私は物心ついたころから運動が苦手でした。
ビビりな性格もありましたが、
自転車に乗れる子、鉄棒ができる子への感情は
憧れではなく嫉妬や焦りが強かったのをよく覚えています。
そう、保育園のころにはもう「欠点は直すべき」と思い込んでいたんですね。
それくらい、社会や周りの大人たちにもこの常識がへばりついているのです。
「欠点があると嫌われるよ」なんて直接言われることはなかったかもしれませんが、
人と違うと馬鹿にされる、
できないと笑われる、
失敗すると悲しまれる、
これが当たり前でしたね。
だから子供も親も、できないことばかりが目についてしまい、
それをできるようにしようと大人たちは必死になって私のことをサポートしてくれていたのを覚えています。
でも生まれたて~3歳くらいまでの子どもって
自分を無敵だと思っている素振りで暴れまわるし(笑)
ありのままで愛してもらえるじゃないですか。
本来人はそうありたいと思っているのに、
社会がそれを許してくれない形相です。
「ありのままの自分を受け入れてくれる人がいる」
という夢のような小さな希望(と思っている)のために、
嫌われるリスクの伴う(と思っている)欠点をさらけ出すことって、
とても勇気のいることです。
「大切な人に好かれるより多くの人に嫌われたくない」
「欠点があると嫌われる」
そう思わざるを得ない社会を誰も止められない現状が、
人々が欠点を愛することができない理由ではないでしょうか。
欠点を愛せないから嫌われる!?
人が自分の欠点を愛することができないでいると、
誉め言葉が嬉しく感じられません。
たとえば背が低いことがコンプレックスの男性に
「背が低くてかわいい♡」なんて言ったら男性はどう思うでしょう。
「馬鹿にしてんの?」
「ほんとはそんなこと思ってないくせに」
などと思うのではないでしょうか。
とてもじゃないけど心のから「でしょ!ありがとう!」とは言えないですよね。
褒めた側は素直にそう思ったのにそれを受け取れず、
相手の気持ちを疑って卑屈になってしまいます。
経験があるかもしれませんが、
卑屈な人間と一緒にいるのって疲れませんか。
誉め言葉に対する「いやいや…」って、
謙遜のつもりかもしれないですけど、
こちらの意見を真っ向から否定されることですからね。
「あの人絶対私のこと馬鹿にしてる」
「本当はこう思ってるに決まってる」
に対して励ますのも疲れますし。
もちろん卑屈になってしまうあなたを愛そうとしてくれる存在もいます。
しかし欠点をひた隠しにしている人のありのままを愛するということは、
まずその欠点を探し当てるところから始めて、
あなたが卑屈になってもへこたれずに
「それでもお前を大切にする!!!」
「そんなことで嫌いになるわけないじゃん!!」
と伝え続けるエネルギーが必要なんですね。
それに「嫌われないことためにがんばる」って…
自己愛の塊ですからね。
つまり本人は嫌われないために欠点を嫌って隠そう直そうとがんばっているのに、
欠点を嫌いであればあるほど
その人に愛情を与えられず、
体力を奪う結果になってしまうという。
実はめちゃくちゃ本末転倒なんです。
欠点は隠しているだけ
それに欠点と言うのは、
自分で許すことができない限り
直しているのではなく隠しているだけです。
隠すってすごく苦しいことです。
通話カウンセリング休止のおしらせ通話カウンセリング休止のおしらせ
↑こちらでもお話しましたが、
私はおしゃべりが苦手な自分を隠してきました。
克服するためにスナックやったり配信やったりしたけれど、
結局「おしゃべりが下手」という思い込みは残り続けるんですよね。
練習したり準備したりして、
多少の改善はあったかもしれません。
それでも自分を許せない、
「おしゃべりが下手」の思い込みが残り続ける、
完璧を目指そうとしてしまうんですね。
でも私は人間、完璧なんて無理です。
思ったことの3分の1も伝えきれない自分に不甲斐なさを感じていました。
そして私はその不甲斐なさを抱えきれなくなって、
「おしゃべりが下手」という欠点を許すことにしました。
「文章できちんと伝えられるんだからいいじゃん」って。
もちろん欠点を克服した経験もあります。
私は元プロメンヘラを名乗っていますが、
現在病むことはあってもメンヘラではないと言いきれます。
メンヘラな自分を決して許さず嫌って嫌って隠し続けた結果、人生楽になったんですね。
●参考記事
メンヘラ改善したら人生輝き始めた話メンヘラ改善したら人生輝き始めた話
だから欠点を克服することは悪いことではありません。
それで欠点を克服できたみなさんもすごい!!
でも隠そうとしても全然うまくいかなかったり、
完璧に隠そうとして疲れてしまったり、
そういうときは欠点を愛してあげるのも一つの手なんですね。
できることを増やしたり、
自分にあるものを褒めて自信をつける方法ともうひとつ、
しょーがないと思うことで欠点を許す方法。
欠点を愛するということは、
この後者に当てはまるんですね。
後編では、
欠点を愛することのメリットと、
欠点を許すための方法についてお話します。
欠点を受け入れる、ありのままの自分を愛するって何ですか?後編欠点を受け入れる、ありのままの自分を愛するって何ですか?後編
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