良かれと思ってやったのに!傷つけたり裏目に出てしまうワケ。

相手のためを思っての行動が
迷惑がられてしまったことはありますか?

正直私、しょっちゅうやってしまいます。

人にされて嫌になったことがあるというのに!!

 
今回は良かれと思ってやったことが裏目に出てしまう理由と、
相手に意見を言うときに心がけたいことをお伝えします。

一緒に反省しましょう;:

 

目次

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良かれと思ってやったことが相手を困らせるワケ

こちらとしては善意でやっていることですから、
そのときはまさか相手が傷つくなんて思わないで発言行動してしまうわけです。

ですから誰しもが相手を傷つけてしまう可能性があります。

 
相手のためを思って行動すること自体は
本来は何も悪いことではないはずです。

なのにどうして善意でやったことが相手を困らせてしまうのでしょうか。

 

下心は相手に伝わる

あわよくば振り向いてほしい!
あわよくばいい評価をもらいたい!
あわよくば自分の思い通りに動いてほしい!

そんな「あわよくば…」が心の中にありませんでしたか?

 
それって巡り巡って自分のためですよね。

 
頼んでもいないことをされたあげく、

「あなたのため!あなたのため!」

と言いながら
自分がいい思いしたいだけなことはしっかりと相手に伝わります。

 
自己犠牲を払う人があまりに痛々しいのはこのためです。

自己犠牲せざるを得ないほど幸せに飢えているように見えるのです。

 
「相手のため」といって自分のための行動をするということは、
他人の行動に幸せを委ねることです。

それって相手からしたら人生を委ねられてると同等。

おっっっも。

 
建前だけであれ、
それが善意なことはわかっていますから

「良い評価を下さなければこの人を傷つけてしまう」

と大きなストレスになるんですよ。

 
”困る”という気持ちと、
”相手を傷つけてはならない”という相反する気持ちこそが、
ますます相手を困らせてしまうのです。

そして結局我慢には限界がきてしまうのです。

 

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コントロールされる恐怖

「あわよくば自分の思い通りに動いてほしい!」
という例を挙げました。

相手に何かをアドバイスしたり、
自分の意見を言うときにはこういう気持ちが生まれてしまいがちです。

でもこれってものすごく危険。

行き過ぎればただのパワハラです。

 
相手をコントロールしようとすることは、
相手の意志を奪いとることでもあります。

実際にはそんなことは簡単にはできないのですが、
だからこそ他人をコントロールすることはできないのですよ。

●参考記事
【振り向いてほしい】他人をコントロールすることは不可能です。【別れたくない】

 
相手が思い通りに動かなければ動かないほどハッスルしてしまいますから、
ますます「思い通りに動け!」と
本来の”相手のため”という目的を失います。

 
自分の人生の選択をする権利さえ奪おうとする相手とは、
そりゃあ関わりたくはないですよね…。

 

意見の押し付けは否定のサイン

「もっとこうしたらいいのに!」という意見は

「私の意見が正しくて、あなたの意見は間違っている」

ともとらえられます。

 
そこに先ほどのような
「あなたをコントロールしたい」
という欲求が上乗せされて伝わってくるわけですから、

ますます自分自身を真っ向から否定された気持ちになります。

 
意見は人それぞれあって正しいも間違いもないはずなんです。

それで本人が人生を楽しめる、楽しめると思える選択をすることが正しいこと。

 
人生において何を選択するかは本人にしか選べません。

本人にしかその権利はありません。

 
あまりにも強引な意見の押し付けは
その権利を侵害されるということですから
迷惑に感じてしまうのです。

 

私たちは何のために良かれと思って行動しているのか?

私のような「良かれと思ってやったのに…」な人は、
自分の行動が100%相手のためを思ってのことだと信じ切っています。

たしかに相手を傷つける意図なんて1ミリもないことは事実です。

 
しかしそんな心の中には、

「自分の人生の失敗を見ないふりしたい!」

という気持ちが眠っているのではないかなと思うのです。

 
自分が幸せであることを認めたいから、
他人に自分の体験を押し付けて、
相手が幸せになる姿を見届けて安心したいのです。

「この人も幸せになれたんだから、私の人生間違いじゃなかった!」

 
でもそれって暗に自分が幸せじゃないことを認めているんですよね。

自分の幸せを信じることができない要因があるから、
自分と同じように生きる他者を見て安心したいのです。

 
しかもこのヤバさはもう1点あって、

自分が幸せであると信じたいということは、
こいつは不幸だと相手を見下しているということでもあります。

 
優越感に浸る罠。気づいたら思い出してほしい3つのことの記事でもお伝えしましたが、
人を見下すと安心できます。

自分が不幸だと認めなくて済むからです。
こいつよりマシだと思えるからです。

自分が不幸だと認めてしまえば、
自分の人生すべて間違っていたような絶望的屈辱的な気分になります。

 
でもそれを認めず幸せだと思い込んでも、
不幸なことに変わりありませんからいつまでも状況はよくなりません。

 
つまり良かれと思ってアドバイスしたり余計な心配を向けてくる人間というのは、
どこまでも不幸なのです。

不幸だから自分は幸せだと信じたいし、
こいつよりマシだと安心したくなってしまうのです。

 

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良かれと思ってで他人に迷惑をかけないために

この行動原理を知るということも自制になるとも思うのですが、
もう一点ご紹介したいと思います。

 
「あわよくば…」な気持ちがないか自分に問いかけてみると、
案外あっさりと出てきちゃったりするのです。

それに気づいたときが踏ん張り時です。

 

「考えをあらためてほしい」→「他人の思考はコントロールできるもんじゃない」
 
「いい評価がほしい」→「他人からの評価は絶対的じゃない、選択権は相手にしかない」
 
「私の思い通りに行動してほしい」→「他人の行動もコントロールできない」

 
そう自分に言い聞かせて理解できてこそ、
本当に相手のための言動ができるようになります。

それを自覚してるしてないとでは、
言葉の使い方が大きく変わるんですよ。

 
決して押し付けたり否定するような言い方ではなく、

「私の意見はこう、あなたの意見はこう」

と相手を尊重できるようになるのです。

 
この「あわよくば…」を振り返る方法は、
誰かにモノ申したくなった時以外にも、
たとえば好きな人にLINEしたいと思ったときなんかにも使えちゃいます。

 
「返信くれえええ愛せよおおお」
という思いを乗せた激重メンヘラLINEをするのと、

「面白いことあったんだけど聞いてけれwwwアッヒョw」
というごくごく純粋な楽しさを与えたいという気持ちの友達感覚のLINEでは
全く雰囲気が違います。

●参考記事
【鉄則】好きな人、彼女ともっとLINEしたいと思ったときの注意点

 
下心がなくなるということは難しいかもしれませんが、

あっても良い方向に作用することはない

と納得できるまでは下手に動かないのがベターです。

 
随分話が逸れてしまいましたが、
それほどに下心は人間関係の邪魔をするのです。

 

まとめ

今回は自戒も込めて書いたので、
かなり私がまた読み返したい感じの文章になりました。(笑)

 
他人を意図せず否定してしまうことって
本当にしょっちゅうあることで、

そのときに書いた記事が
ささくれを剥いたらリスカする人の気持ちがわかってしまった件
だったりします。

 
意図してない、無意識にしているからこそ、
なかなか直らないんです。

しかし、意識は無意識に勝る力を持っています。

気づいたら自制。

これを心がけていきましょう!



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